ラッキー・ルチアーノ(3)

アメリカ海軍との密約「暗黒街計画」
しかし、服役中の第二次世界大戦勃発により転機が訪れる。大戦が始まると東海岸一帯、特にニューヨークの港はドイツによるUボートの攻撃や諸々の破壊活動を受けていた。当時、フルトンフィッシュマーケット(Fulton Fish Market)のようなニューヨークの港は余所者が紛れ込むのに都合のいい場所と見られており、なおかつルチアーノのマフィア組織の支配下となっていたので、警察や軍の関係者が行くと身構えられてしまっていた。埠頭や繁華街での諜報活動にアメリカ海軍はマフィア組織との協力が必要だった。こうして通称「暗黒街計画」が始まる。 ルチアーノ自身は、ドイツの陰謀を利用して市民の不安をあおれば刑務所から出られると考え、アメリカ海軍に協力し、波止場でのスパイ監視活動やシチリア上陸作戦の情報提供を指示する。マイヤー・ランスキーらを刑務所に呼び、波止場における自分たちの支配力を行使するよう命じた。 1941年に、海軍情報部のため活動していたニューヨーク地方検事のフランク・ホーガンは協力を頼み、ルチアーノは取引をし、まずダンネモーラ刑務所からニューヨークに近いグリーンヘヴン刑務所へ移してもらい、さらに第二次世界大戦アメリカが参戦した半年後の1942年5月には、グレート・メドウブ刑務所に移送される。
ハスキー計画への「貢献」
1943年に、アメリカ軍を含む連合軍がシチリア上陸計画(その後「ハスキー作戦」と呼ばれることになる)を計画した際には、ジョー・ランザ(Joseph A. "Socks" Lanza)からの推薦もあり、チャールズ・ハッフェンデン(Charles Haffenden)海軍少佐が刑務所にいるルチアーノに協力を要請した。ルチアーノはこれを承諾したが、「刑期を短縮させる努力をする」というのが交換条件だった。 しかし、ルチアーノは幼児のときにアメリカに渡ってきたのでシチリアへのコンタクトはひどく少なかった。そのためシチリア島のマフィアとのコンタクトを持っているヴィンセント・マンガーノ、ジョセフ・プロファチ、ジョゼフ・ボナンノらにも協力してもらい、シシリー・マフィアの大ボス、カロジェロ・ヴィッツィーニの協力を得た。