ラッキー・ルチアーノ(2)

トーマス・デューイ対公共の敵ナンバー1
1936年、野心家の検事トーマス・デューイは、ルチアーノを「公共の敵ナンバーワン」と名指しし厳しく追及した。そのため、当時引退したギャングが集まる街だったアーカンソー州ホットスプリングスに身を隠した。このとき、古くからの友人のオウニー・マドゥンに生活の面倒を見てもらう。しかし4月1日にカジノで遊んでいたところ逮捕される。マドゥンが用意した優秀な弁護士を雇い5千ドルですぐに釈放されるが、デューイ側はすぐに再逮捕しニューヨークに連行された。ルチアーノ側はアーカンソー州司法長官のカール・E・ベイリー(Carl Edward Bailey)長官に5万ドルの賄賂を交換に釈放を求めたが断られた。 裁判では容疑は数多くあった。殺人、酒の密造・密売、労働組合の恐喝、ミカジメの取立てなどである。しかし有罪になったのは、彼が犯さなかった数少ない犯罪の一つである強制売春だった。売春事件としては異例の禁固30?50年の刑を宣告された。このときの裁判で検察側が出頭させた証人の多くは、当局の指示に従わないと逮捕すると脅迫を受けた売春婦たちで、ルチアーノに対して不利な証言をさせていた。そこまでしてもデューイ側はなんとしてもルチアーノを投獄させたかったという。ルチアーノは「私は多くの不法行為に関与したが強制売春だけはやっていない」と無実を主張したが、その後10年近く刑務所で暮らすことになる。ギャングが監視体制の厳しさからシベリアと恐れていたダンネモーラ刑務所(Clinton Correctional Facility, Dannemora)に送られた。 投獄されるがその権勢は衰えず、刑務所内から面会に来たマイヤー・ランスキーやフランク・コステロたちを使い、組織犯罪の指揮をとり続けた。刑務所の中でも大きな権威を持っていた。刑務所ではラジオを置き、新聞を取り、労働はせずに快適に暮らしていた。

トマス・E・デューイ - Wikipedia
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ジョン・エドガー・フーヴァー - Wikipedia
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歴史に残るマフィアの大ボスや悪名高き殺し屋たちのマグショットいろいろ - DNA
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