マイヤー・ランスキー(1)

●ギャング映画は西部劇と並んでハリウッド制作映画の二大ジャンルである。日本のヤクザ映画が単なる犯罪映画でないように、ギャング映画も単なる犯罪映画ではない。成功の段階を登りつめて最後に悲劇的な死を遂げるのが、ギャング映画のヒーローの典型的な運命である。
ユダヤ・ギャングを描いた映画としては、1984年に制作された名作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(ロバート・デ・ニーロ主演)が有名である。ニューヨークの貧民街に育ったユダヤ移民の少年たちがギャングになり、その後崩壊していくまでの40年にわたる壮大なストーリーを描いている。
ユダヤ・ギャングの中で最も有名なのがマイヤー・ランスキーである。
彼は1902年にベラルーシ白ロシア)のグロドノで生まれ、本名をスホフラニスキーといった。彼が両親に連れられてアメリカに渡ってきたのは1911年のことだった。
●ランスキー自身は、アーノルド・ロススタインというユダヤ人の賭博王の支援を受けていた。アーノルド・ロススタインは、ニューヨークに登場した最初の犯罪ボスである。彼はデイモン・ラニャンの小説で「頭目」として描かれ、スコット・フィッツジェラルドの『華麗なるギャツビー』で登場人物のモデルになった。
このアーノルド・ロススタインが1928年に暗殺されると、マイヤー・ランスキーは押しも押されもせぬシンジケート・ボスの地位に就いた。
●ランスキーは、少年時代からの友人ラッキー・ルチアーノ(イタリア・マフィアの大ボスで、本名はサルヴァトーレ・ルカーニア)と組んで、「殺人会社(Murder Inc.)」すなわち銃を使う名うての殺し屋集団をつくり、それによって北米のすべての都市に、密売酒と麻薬の流通ルートを支配する全国的犯罪連合をつくっていった。
●マイヤー・ランスキーと親しいユダヤ・ギャングの殺し屋べンジャミン・シーゲル(別名バグジー)は、禁酒法時代にウイスキーの密売と麻薬で稼いだ資金を基にネバダの砂漠の中にギャンブル王国を築いた。組織犯罪全盛期に儲けた資金のその他の部分は、ハリウッドの映画制作会社に注ぎ込まれた。
べンジャミン・シーゲルは、ラスベガスをつくったユダヤ人として、アメリカ犯罪史および文化史に名を残すことになった。

暗黒街のユダヤ紳士たち
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