ヒッピー

百科事典マイペディアの解説

ヒッピー
1960年代の米国で,若い世代を中心に,既成の制度,慣習,価値観念に反抗して,ジーンズやサイケデリックな衣装,ドラッグ,ロック音楽,東洋的瞑想を好み,人間や自然との直接的なふれ合いに高い価値をおいて,コミューンを形成したり,定職につかず放浪するといった行動類型がひろまった。
→関連項目ウッドストック・フェスティバル|サンフランシスコ|ハーバート|ビート出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説ヒッピー
ひっぴー
hippiehippy1960年代、アメリカ合衆国では、青年層を中心にして既成の社会体制と価値観からの離脱を目ざす対抗文化countercultureの運動が生じた。この運動とそれを担った人々をヒッピーという。アメリカと同様に高度な産業化を実現したイギリス、フランス、日本などにも波及した。ことばの由来に定説はないが、音楽とくにジャズやブルースに熱狂して忘我状態に陥ることを黒人の俗語でhip, hepといい、ここから派生した。
 産業社会の豊かさは、主要な支持層である中産階級に、合理的で物質主義的な生活様式と生き方をもたらした。ヒッピーは彼らをスクウェア(堅物)とよび、主流文化からのドロップアウトを図った。なによりも自由と愛という人間的な価値を尊重するヒッピーは、自分自身のために生きるため、原始的共同生活を営んだ。男たちは、ひげを伸ばし、長髪を好み、ジーンズをはいた。女たちも、長い髪にミニスカートをはき、ペンダントをかけたり、サンダルを履いた。ボヘミアン的ライフスタイルと平和主義を象徴するものとして、彼らは好んでハトや花のシンボルを使用した。他方ではまた、テクノクラシーの基盤をなしている客観的知識=科学と理性に疑いを表明した。彼らは理性の尊重よりも感性の解放を求め、音楽、ドラッグ(LSDマリファナ)、東洋の神秘主義思想(禅や道教)などによる意識の拡大化と変革を志向した。詩人のA・ギンズバーグは、これらの優れた実践者、導師として彼らの尊敬を集めた。
 ヒッピー運動は、イデオロギーに基づく社会変革よりも、個人の意識変革を目ざす文化運動であった。1960年代後半には、人種問題、ベトナム反戦などの社会運動と呼応して盛り上がりをみせたが、70年代に入ると急速に終息した。[亀山佳明]

アシッド・ドリームズCIA LSD ヒッピー革命
M・リー/B・シュレイン(編),越智 道雄(訳)
発行:第三書館
A5判
440ページ
上製
定価2,800円+税
ISBN978-4-8074-9203-9
CコードC0022
一般?単行本?外国歴史
出版社在庫情報在庫あり
初版年月1992年4月
書店発売日1992年4月1日

紹介
60年代サブカルチャーを最もカラフルに彩るLSDサイケデリック革命の影にはCIAの意識・文化操作の秘められた策動があった。アメリカ公文書とТ・リアリー、ギンズバーグほか多数の証言にもとづく本書は、驚嘆と論争を巻き起こした、真実のアメリカ・ドラッグ史である。

アシッド・ドリームズ―CIA、LSD、ヒッピー革命:Amazon.co.jp:本
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4807492039/psychedelmovi-22?dev-t=D3A0EVSPCPV0FK%26camp=2025%26link_code=sp1

マーティン A.リー, ブルース・シュレイン, 越智 道雄 アシッド・ドリームズ―CIA,LSD,ヒッピー革命
70年代のサイケデリックムーブメントをLSDという社会現象から解読しようと試みた本です。CIA、音楽、思想と色んな方向から当時の様子を追っていて一つ一つの流れがつながっていき全体が見れます。ジャーナリストの視点で膨大な資料を綺麗にまとめていて思わず引き込まれます。サイケを少しでも語りたいなら必読です。結局70年代にあれだけの人間が世界を変えようとしたけど世界に吸収されたことがわかるだけかもしれませんが...

この本の内容を簡単に説明すると、LSDという幻覚剤を中心とした、1960〜70年の10年間のカウンターカルチャー史です。
LSDという薬物が、世の中にどんな作用を及ぼし、どんな爪痕を残したのかというのを、ティモシー・リアリーという人物を中心に描いています。
一応、誤解のない様に書いておきますが、ドラッグを推奨するような内容では有りません。
客観的に綴られた、10年間の歴史です。
この本の出だしは、LSDの発明から始まります。
先ほど書いた説明では60〜70年の10年間の話とか来ましたが、この初期の部分に限って、50〜60年代の話となっています。

カウンターカルチャー 反体制)