哲学者の梅原猛さんが死去 93歳 文化勲章受章

日本古代史への大胆な仮説や「森の文化」の復権を唱え、日本文化や現代文明の在り方を問い続けてきた哲学者で文化勲章受章者、国際日本文化研究センター顧問の梅原猛(うめはら・たけし)さんが12日、肺炎のため京都市の自宅で亡くなった。93歳。葬儀は近親者のみで15日に営む。後日、お別れの会を開く予定。
1925年仙台市生まれ。旧制八高を経て、48年京都大文学部哲学科卒。55年立命館大講師、67年同教授。69年、学園紛争の収拾策を巡り「学問、思想の自由がない」と辞職した。72年京都市立芸術大教授。74年から約9年間学長を務め、現在も名誉教授。
84年、当時の中曽根康弘首相に「日本学研究所」構想を持ち掛け、86年に大学共同利用機関の「国際日本文化研究センター」創設準備室長に就任。87年同センター発足時から95年まで初代所長を務めた。92年文化功労者。97~2003年日本ペンクラブ第13代会長。
立命館大講師時代から「笑い」に関心を持ち、大衆芸能や近代日本文学作品を通じた笑いの分析などユニークな研究を進めた。更に日本文化論や現代文明論、仏教思想、古代論へと思索を広げ、日本文化とは何かを独自の視点で問い続け「梅原古代学・日本学」と称された。
著作は大胆な仮説を展開し、一般にも広く読まれた。法隆寺聖徳太子の怨霊(おんりょう)を弔うために作られたとする「隠された十字架 法隆寺論」で72年毎日出版文化賞柿本人麻呂は「水死刑」で死んだとする「水底の歌 柿本人麿論」で74年大佛次郎賞
日本文化の基層に縄文文化があると考え、アイヌや沖縄に縄文文化の原形を探った。一方、市川猿之助がスーパー歌舞伎として舞台化した戯曲「ヤマトタケル」や「オグリ」のほか、小説も手掛けるなど、創作活動も盛んだった。
脳死・臓器移植を巡る論議では、脳死臨調の委員として「脳死は人の死ではない」との意見を貫き、総理大臣の諮問機関としては異例の「少数意見」が答申に盛り込まれたが、臓器移植は容認した。環境問題にも自然保護の立場から積極的に発言し、森の大切さを訴え現代文明の在り方に警告を発した。憲法9条を擁護する「九条の会」呼びかけ人の一人でもあった。
(2019/01/14 07:12 毎日新聞)