ネチャーエフ

ネチャーエフ
Nechaev, Sergei Gennadievich[生]1847.10.2. イバノボ
[没]1882.12.3. ペテルブルグ
ロシアの革命家。 1868年ペテルブルグで学生運動を指導したあと,69年3月スイスに逃れ,M.K.バクーニン,N.P.オガリョフらと接触し,8月帰国。ロシアの革命運動を推し進めるため「ヨーロッパ革命家同盟」という架空の団体をつくり,そのロシア支部として「人民裁判」という秘密サークルを組織した。 11月組織上の対立から I.I.イワーノフを殺害し,スイスへ逃れたが,72年スイス官憲に逮捕され,モスクワで裁判に付されたのちペテロパウロ要塞に投獄された。ドストエフスキーは『悪霊』で彼を扱っている。

ネチャーエフ【Sergei Gennadievich Nechaev】1847‐82
ロシアの革命家。貧しい家庭の中で独学し,教師資格を得るかたわらペテルブルグ大学の聴講生となって,1868‐69年の大学紛争に加わり,学生運動革命化を図ってトカチョーフとともにラディカル少数派に立った。自ら投獄のうわさを流しておいて,69年3月ひそかにスイスへ脱出,バクーニンやオガリョーフに接近して革命資金を入手し,前者とともに革命を訴えるいくつかの宣伝文書を作成した。とりわけ有名なのは《革命家のカテキズム》(1869)で,その主張は〈目的のために手段を選ばぬ〉として,後年〈革命のマキアベリズム,革命のイエズス主義〉と評された。

ネチャーエフ文書
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セルゲイ・ネチャーエフ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%95

(左翼 社会主義