理神論とフリーメーソン

理神論 - Wikipedia
理神論(りしんろん、英: deism)は、一般に創造者としての神は認めるが、神を人格的 存在とは認めず啓示を否定する哲学・神学説。 神の活動性は宇宙の創造に限られ、 それ以後の宇宙は自己発展する力を持つとされる。
人間理性の存在をその説の前提とし、奇跡・予言などによる神の介入はあり得ないとして排斥される。18世紀イギリスで始まり、フランス・ドイツの啓蒙思想家に受け継がれた。

フリーメイソンリー批判において、最も歴史の長い宗派は、ローマ・カトリック教会である。 教会の教理に真っ向から矛盾する自然主義的な理神論を唱えていることから、カトリック 教会によるメイソン批判がなされてきた。

フリーメイソンリーは、17世紀半ば頃からイギリスで明瞭な主張となってきた理神論的啓蒙主義自然法論とが合流し、18世紀にはこの啓蒙主義の理論と運動で主導的役割を果たした。ところが・・・・フリーメイソンリーのその後の発展の跡をたどってみても直ちに見て取れることであるが、メイソンは一般市民へと開かれた啓蒙運動を展開するとともに、他方ではこれとは逆に閉鎖社会にこもり、そこで秘教的神秘主義の内に沈潜し続けた。」
「・・・カトリック教会のエキュメニズム(他宗教との話し合いと協同活動)を最も歓迎したのは、フリーメイソンリーであった。」
「特定の啓示に基づく信仰宣言的宗教こそ一切の不寛容と分裂の源であり、したがって人類の統合はフリーメイソン的な『諸宗教の統合』によってのみ到達し得るであろう。メイソンによれば、このようなフリーメイソンによってのみ、万人は許容し、愛し合って人類共同体を形成することができるのである。」
「理性は啓示、宗教を必要とはしない。・・・諸宗教が対立して憎しみ合うのは、おのおのが自分に固有な神の啓示をその基礎にしているからである。」
「・・・・精神は成熟する神的啓示そのものである。人間の成熟度に応じて『神の啓示』なる神話が理性的思考に置き換えられていく。啓示宗教は自然的な理性宗教へと変容しなければならない。」
      『秘密結社フリーメイソンリー』湯浅慎一 太陽出版 2006より