フリーメーソンは、こう生きる(1)

【フリーメースンリーと宗教】
メイスンリーは宗教ではありません。また宗教の代わりの役割を果たすものでもないのです。一部の人々や教会の中には、フリーメースンリーが宗教であって、彼らの信奉する教えと相入れないものがあるのではないかと誤信して、フリーメースンリーに反対する向きもあります。

しかしながら、メイスンリーは宗教的教義や僧職組織は持っておらず、また独自の救いの道を説くこともしておりません。

またメイスンリーはキリスト教会、ユダヤ教団、その他新旧のいかなる宗教団体から派生したものでもありません。そのどれかを信奉したり、そのために補助的な役割を演じたりするものでもないのです。メイスンリーでは何らかの宗教的信仰を持つことが要求されてはおりますが、個々のメイスンは自らの宗教的信条に従い、自らの欲する方法で、自ら信仰する神を崇めることができます。即ち、会員がキリスト教徒たると、仏教たると、またはユダヤ教徒ヒンズー教徒、イスラム教、プロテスタントあるいはローマ・カソリック教徒たるとを一切問わないのであります。

【メイスンリーは秘密結社か】

多くの人々がそう思い込んでいるのですが、フリーメースンリーは決して秘密結社ではありません。

何故なら、フリーメースンリーは自己の存在とその会員名を隠していないからです。また、フリーメースンリーの目的、目標及び原理もいまだかつて秘密にしようと試みられたことはありません。この団体は「兄弟愛」、「困窮者の救済」及び「真実」という幅広い基盤の上に構築され、存在している団体なのです。

赤い龍は、マルキスト的な無神論で、黒い獣はフリーメーソンです。

哲学者は、学問、また理性に、排他的な価値を与えはじめるので、少しづつ人間の知恵だけを真理の唯一の基準とするようになります。こうして、哲学的な多くの大謬説が生まれ、何世紀にもわたって今日にいたっています。真理の排他的基準として理性を過大に重要視したために、やむなく神のみことばに対する信仰が破壊されてしまったのです。

教会的フリーメイソンは、種々の”文学類型”を適用して唯理主義による自然的解釈を紹介する聖書解釈をはげますのです。この結果として最後には、キリストの奇蹟、また復活の歴史的な事実つさえも否定するようになり、キリストの神性そのものと、救い主としての使命そのものまでも疑わしいものとします。