ケンブリッジ・ファイブの二律背反(スパイ)

1930年代のエリート学生が見た現実
1956年2月11日。ソ連・モスクワのホテルの一室で、ジャーナリストたちを出迎える2人の男性の姿があった。ドナルド・マクリーンとガイ・バージェス。1951年に英国から突如姿を消し、メディアを騒がせた外交官2人が、5年の年月を経てついに公に姿を現わした瞬間だった。ジャーナリストに手渡された共同声明文には、自分たちがスパイではないと主張する一方で、ソ連に対する共感を示し、イングランドを去ってソ連に来たのは、「ロシアにのみ、自らの信念を何らかの形で実現する機会がある」と信じたからだと訴える言葉。これが後に「ケンブリッジ・ファイブ*」と呼ばれることになるケンブリッジ大学を卒業したスパイたちの全貌があぶり出される序曲となる。
ドナルド・マクリーン、ガイ・バージェス、キム・フィルビー、アンソニー・ブラント。第二次大戦から冷戦期にかけて、ソ連のスパイとして活動していた英国人4人に共通していたのは、いずれも中流階級以上の恵まれた環境に育ち、同時期に英国最高峰の大学、ケンブリッジ大学で学び、MI5(保安局)やMI6(秘密情報部)、外務省といった情報・外交当局の中枢で活躍した生粋のエリートたちであるという点だった。本来ならば国を背負って立つはずの彼らがなぜ、よりにもよって共産主義国家のソ連に機密情報を渡していたのだろうか。

ケンブリッジ大学トリニティー・カレッジ 当時、ソ連の情報機関・秘密警察であるソ連国家保安委員会(KGB)は、将来、英国を動かすことになる才能豊かな若者を英国内の名門大学で「青田買い」することに注力していた。多感な大学生時代に共産主義やソ連への共感を強めていた4人は、恰好の漂的となったことだろう。 大学という象牙の塔を出て、第二次大戦、冷戦という激動のときをスパイという立場で生きた彼らの信念は、現実を目の当たりにして揺らぐことはなかったのだろうか。第二次大戦では英・ソはともに連合国側であったことから、国を裏切るというよりも、自らの信じる道を突き進んだという意識の方が強かったのかもしれない。

ケンブリッジ・ファイブの二律背反 -
http://www.news-digest.co.uk/news/features/12372-cambridge-five.html